悲しみから喜びへ

ヨハネによる福音書16章12〜24節

 今日も、先週に続きイエスの告別説教の内容の重要な一節です。イエスは「迫害の予告」に続いて、キリスト者には聖霊の助けがあると慰めを語られます。福音書が書かれた紀元90年頃には、イエス・キリストを信仰するものは、異端としてシナゴーグから追放すると決定され、迫害が始まっていたことが背景です。

 イエスが去られた後、弁護者が送られてくると語られいます。弁護者とは、パラクレートス=側にいるものという意味で、裁判の席などで、裁かれている者の傍らで弁護するものを指します。 ここでは、弁護者は聖霊を意味しています。聖霊は神から信仰者のもとに送られて人々を守り導くものであるとイエスは教えられます。聖霊は真理の霊とも呼ばれています。真理の霊が送られてくれば、イエスの言葉、業、受難、復活など、神の啓示の出来事すべてが人間に理解できるように知らせられるのです。

 聖霊というと何か理解が困難な、普通の人間には関係がないように思われることがありますが、少し視点を変えてみると案外分かりやすいのです。

 もし聖霊に感じることがなかったら、 いったい誰が
  十字架という躓きの死をとげた人を救い主と仰ぐことができようか

  聖霊に導かれなかったら、誰が教会へ行こうなどと思い付くだろうか

  そして教会に通って洗礼を受けたいなどと願うだろうか

  救いの確信を抱くことができようか

 別にこういう宗教的なことばかりではありません。人間の良心に働きかけるもの、人間の働きを助け、精神的、肉体的活動をさせるもの・・・実務家であっても、芸術家の場合でも、外からみていて、この人にこんなすばらしい働きをさせているものはなんだろうと感服することがありますが、それがすなわち聖霊の働きだと言っていいと思います。

 私たちの小さい群れの上にも、聖霊がつねに働きかけてくださることを信じ、感謝します。